光明寺の歴史

西暦

年号

光明寺概歴

1520年頃



1575年

1575年

1580年




1585年

1600年頃







1731年

1750年頃

1927年

1953年

2000年

永正年間



天正3年

天正3年

天正8年




天正13年

慶長年間







享保16年

宝暦年間

昭和2年

昭和28年

平成12年

釈智雲(入江主計)によって開基。
入江主計は、讃岐国多田郡広田(現在の香川県仲多度郡)の城主で、入江兵庫守の次男。


釈長雲(3代目住職)石山合戦に参戦するも、大阪府守口にて落命。

釈智雲、広田に堂宇(本堂)を建立。

釈常賢(四代目住職)、本願寺が信長との和議により紀州鷺ノ森に退去する時に随行。
その功労により「阿弥陀如来木像」1体を拝受。
*戦乱四国に及び、一族は伊予国新居郡当田(現在の愛媛県新居浜市光明寺)に
移住し、堂宇を建立。光明寺の地名は同寺に由来する。

四国征伐の兵火に遭い、堂宇消失。

釈常真(6代目住職)松山藩主、加藤嘉明候の命を承け、西条市加茂川の堤防構築の
土木工事を完成。西条市発展の礎を開く。

この功績により、西条市、大町常心に寺地を拝領し、堂宇を建立。
常心の地名は、常真に由来する。

*その後、西条市東町に寺地を拝領し移転するも、更に紺屋町に寺地を移す。

釈寛超(12代目住職)本堂建立。

釈寛道(13代目住職)山門建立。現在の山門である。

西条市常心に『常真法師遺跡記念碑』が篤志者によって建立。

釈寛興(21代目住職)西条市大町550番地に移転改築。

釈一宏(22代目住職)全伽藍(本堂、客殿、礼拝堂、庫裡)を新築。