元旦法話 「めでたい人生―ご利益宗教と真実の宗教」



元旦法話 「めでたい人生―ご利益宗教と真実の宗教」


 新年あけましておめでとうございます。

 色々と問題の多かった平成12年も終わり、いよいよ21世紀の始まりとなりました。

 さて、元旦といえば初詣がつきものです。今年も全国各地で大変多くの方が初詣に出かけられたようであります。

 お正月の風物詩として大変ほほえましいことだとは思いますが、私は初詣の風景を見ていつも気にかかることがあります。

 それは他でもないのですが、あれだけ多くの方が一度に押しかけて、しかも普段お参りなどしたことのない人が元旦の一日だけお参りをして「神様、今年こそこれをお願いします、あれもお願いします」と、それぞれお願い事をするのですが、そんな私たちの虫のいい願い事を、果たして神様は本気で聞き入れて下さるのかな、とついつい心配してしまうのです。

 もちろん、お参りする人も願い事が必ずかなえられるとは思ってもいないでしょうし、たとえかなえられなくても神様や仏様に腹を立てたり、憎んだりはしないようですが、どうも私たちにとって、神社やお寺は自分の願い事をかなえてもらうためにお参りするものだと思っている人がほとんどのようです。

 また、そのような人々の気持ちに応えるように、家内安全、商売繁盛、学業成就、病気平癒、そういった願いごとをかなえてあげましょうという宗教が実に多いのです。

 現在の日本の宗教は、ほとんどがこのような「ご利益宗教」と呼ばれるものだと思います。

 つい先日も、あるご門徒さんのお家にお参り行った時のことです。

 お仏壇の中に、何と「嫁いらず観音」というお札がかけてあったのです。

 「描イラズ」というのは聞いたことがありますが「嫁いらず観音」というのは聞いたことがないので、そのお家のおばあさんに尋ねたところ、「年をとっても嫁さんの世話にならんでもよい観音さんです」と言うのです。

 ここにも「ご利益宗教」に走るおばあさんがいるのだなぁと思いました。

 表面上は、お嫁さんに苦労をかけたくないという殊勝な心がけのように見えますが、決してそうではありません。

 年をとって寝込んでしまって、下の世話まであの憎たらしい嫁にしてもらわないかんと思ったらじっとしておれませんという思いがそこに見え隠れするのです。

 もちろんその後、おばあさんにはお札の無意味なことをお話をし、丁重に取りはずしてもらいました。

 「ご利益宗教」に走る前に、なぜ元気な時にお嫁さんを大切にしてあげようということを考えないのかな、と思ったことでした。

 私たちが神様や仏様に願い事をするのは、人生が思い通りに行かない時や人生に行きづまった時が多いと思います。

 ですから、その願い事は、その人にとれば大変切実な問題かもしれません。

 「どうしたものかなぁ」「何とかならないのかなぁ」と、神様や仏様にすがりたくなる気持ちもわからないではありません。

 しかし、私たちの人生には、思い通りにならない事やつまずく事がしばしばあります。


 一つ悩みがなくなったかと思えば、また新たな悩みが生まれてくる。それが私たちの人生であります。

 そんな私たちの人生で、何かある度に神様や仏様にすがって、ご利益を願うといった一時しのぎをするような人生では、本当の安らぎは生まれてきません。

 親鸞聖人は「同じ宗教といっても偽の宗教もあれば間に合わせの宗教もあります。そのような宗教に惑わされず真実の宗教を求めなければなりません」と教えて下さいました。

 残念ながら「ご利益宗教」と呼ばれるものは、ほとんどが偽の宗教であったり、間に合わせの宗教であります。

 一時しのぎの気休め程度にはなりますが、決してその人の人生を支えてくれるものにはなりません。

 どうして仏様の力や神様の力で病気が治ったり、商売が繁盛したりするのでしょうか。少し冷静に考えればわかることです。

 くれぐれもこのような宗教に惑わされないようにして頂きたいと思います。

 お念仏のみ教えは、決してこのような「ご利益宗教」ではありません。

 親鸞聖人は『信言因となって、同じく往生浄生浄土よのを成ぜん』と、おっしゃっています。

 それは、私たちの人生にはいい時もあれば悪い時もある、良き人にめぐり合う時もあれば悪い人に出会うこともある。しかし、そのすべてが、私にとってお念仏を喜ぶ大事な大事なご緑なのですよと教えて下さっているのです。

 真実の宗教は、拝めばそのご利益で苦悩がなくなってしまうというようなことは決して説きません。

 それどころか、その苦悩こそが私の人生を豊かにしてくれる大切なご縁なんだと教えて下さるのです。

 苦悩が苦悩でなくなるのです。そのような人生が恵まれた時、初めて「ご利益を願う必要などなかったのだなぁ」と気づかせて頂くことできるのです。

 一休さんの有名な歌に

 「元旦や 冥土の旅の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし」というのがあります。

 元旦に当たり、何とか一年生き長らえたなぁと思えばめでたいことではあるが、一年死が近づいたと思えば、決してめでたいことではないのだという歌です。

 それぞれの立場により、元旦はめでたいようであり、まためでたくないものであります 特に、年をとるほどに「めでたくもなし、めでたくもなし」という思いの方が強くなるのではないでしょうか。

 どんな立場の人でも、本当に心の底から「めでたいよ人生だなぁ」と味わえるのは、真実の宗教に出会った時だと私は思います。

 真実の宗教に出会えば必ず「生きた甲斐のある。生まれた価値のある」人生が開かれてきます。

 その真実の宗教とは申すまでもなく、親鸞聖人のお示し下さったお念仏のみ教えであります。

 どうかこの一年、お念仏のみ教えを通して「生きてよかった、生まれてよかった、本当にめでたい人生だなぁ」と心の底から喜べる人生をお送り頂きたいと思います。



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