今月の法話

「衝突する人生」



「衝突する人生」


 私たちは毎日の日暮らしの中で、よく周りの人と衝突します。

 それが夫婦の場合であったり、親子であったり、嫁姑であったりと、さまざまな人間関係の中で衝突します。その衝突で最も多きいものは「国と国との衝突」すなわち戦争ということです。

 確かに、私たち人間の歴史は戦争の歴史といわれるぐらい、いつの時代も争いが絶えたことがありません。

 どうしてこうも私たちは周りの人とぶつかってしまうのでしょうか。

 それは結局、周りがよく見えていないからだと思うのです。

 例えば自動車事故でもそうです。出会い頭による衝突事故が大変多いのですが、これは周りがよく見えていないから起こる事故です。

 もし、周りがよく見えておれば、これ以上進めばぶつかると思えば、止まるなり、よけるなりするはずです。

 なぜ私たちは、周りがよく見えないのかというと、仏さまはそれは私たちが暗闇の世界、すなわちr無明の世界」にいるからだと教えて下さるのです。

 確かに暗闇の中にいたのでは、周りの人とぶつかるのは当然です。

 ここで言う「無明の世界」とは「智慧のない世界」のことで、それは「我執の世界」のことを言っているのです。

 「我執」というのは自分が一番可愛いという心です。ですからr無明の世界」とは「自分は正しい。悪いのは相手だ」という考え方に陥りやすい世界なのです。

 周りの人とよく衝突するというのは、実はこの考え方に原因があるのです。

 そんなことを象徴するような出来事が最近二つありました。

 一つは、大蔵省の内紛で三人の政治家と官僚が更迭された出来事です。

 事の真相は分かりませんが、テレビや新聞で見るかぎり三人に共通していることは「自分は悪くない。悪いのは相手だ」と言い張っていることです。誰も「自分が悪かった」とは言いません。また、そんなことは思ってもいないでしょう。

 そして、もう一つの出来事は、昨年9月ニューヨークで起きた同時多発テロ事件です。

 許しがたいテロ事件でありますが、テロを起こした側は「これは聖戦だ」と言い、報復に出たアメリカは「これはアメリカの正義だ」と言っています。

 これも言ってみれば「正しいのは自分たちだ。悪いのは相手だ」とお互い言い張っていることになります。

 アメリカの正義がイスラムでは悪であり、イスラムの正義がアメリカでは悪になる。

 いくらなんでも、これほど矛盾した話はありません。.

 このように私たちの人間世界は、「自分は正しい」という人たちが寄ってたかって難しくしているのです。

 考えてみれば、自分が悪いという人は一人もいないのです。悪い人が一人もいなくてうまくいかない、まったくおかしな世界です。

 「善人ばかりの家は争いが絶えない」とはこういうことを言うのです。

 今年の「新春特別講演」で藤田徹文先生が次のようなお話をされました。

 先生が大学生の頃のことです。

 朝のお勤めに出るため、先生は毎朝6時に家を出たと言います。

 ところが、それが毎日のことですから、いつも寝不足になって、その後の授業では決まって居眠りをしたそうです。

 先生は居眠りをしながら「情けないなあ、先生が一生懸命教えて下さっているのに、なんて私はお粗末な学生なんだ」とは思はなかったと言うのです。

 どう思ったかというと「勉強する気で一番前に座っている学生が居眠りするような講義をする先生が悪い。寝てる私は悪くない。寝させる先生が悪いんだ」と思ったそうです。

 ところが、大学卒業後、今度は人前で話をする側に回りました。

 いろいろなところで話をしていると、時には居眠りしている人がいるのです。

 そんな時「せっかく忙しいのに時間を割いて、本堂まで足を運んで下さった人を居眠りさせるような話しか出来ない私というものは本当につまらん人間だなあ」と思ったことはないと言うのです。

 どう思っているかというと「人が一生懸命話をしているのに、寝てるとは何事か」と思うと言うのです。

 そして「人間はどっちへいっても、自分は正しい、悪いのは相手だという心しか持ち合わせていないんですねえ」と述懐され、「そんなお粗末な心しか持ち合わせていないから周りのことが見えずに、いつもぶつかってしまうのですね」と話されたのです。

 私は、ここが大変大事なところだと思うのです。

 先程例に挙げた二つの出来事と比べてみて下さい。

 先の二つの出来事は、あくまで自分は正しい、悪いのは相手だと言い張るだけです。その心が我執だということに気付いていません。ですから頭が下がらないのです。

 ところが先生は、我が心の我執に気付いているのです。ですから、お粗末なわが身だなあと頭が下がっているのです。

 そこが大事なのです。

 頭が下がるか下がらないか。己のお粗末さに気づくか気づかないか、そこが重要なのです。そして、それが「無明の世界」を抜け出るかどうかの鍵になるのです。

 もし私たちが「無明の世界」を抜け出ることができれば、そこには何物にもさえぎられない広い広い安らぎの世界が待っているのです。


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