今月の法話



「白蓮華のように」


 ここに『白蓮華のように』と題する一冊の本があります。


 これは、四十才の若さでガンのため亡くなられた中島みどりさんという方が病床で書き綴った闘病日記や我が子へのメッセージなどを編集して世に出されたものです。

 彼女はガンの告知を受けられてから約一年余り、その残された命をいとおしみつつ、ガンすらも仏法聴聞のこよなきご縁として受け入れ、どのような状態の時であってもいつも明るい笑顔を絶やさず、すべての人にやさしく感謝に満ちた日々を送られました。

 それは、まさに泥中に咲く白蓮華と言うにふさわしい人生でした。

 彼女が亡くなる二週間前、二人の子供達に送ったメッセージには次のように述べています。

「お金がなくても病気をしても、いつでもどこでも『私が私であってよかった』と言える人生を送って下さい。お母さんはお母さんで本当によかったと思っています。お父さんと出会えたおかげで私が私であってよかったと思えるようになりました。すべてがご縁ですね。ありがたいことです」

 さらに翌日、彼女は子供達に、私たちの「いのち」は多くの恵みを頂いた「いのち」であり、決して自分一人のいのちではないことを教え、感謝の気持ちを忘れず、一日一日を真剣に、一生懸命生きていってほしいと述べ、「母はいつもお浄土より見守っていますから」と書き記しています。

 そして、いよいよ亡くなる10日前、もはや精神力だけで持ちこたえている中、我が子に最後のメッセージを送っています。

「大悲の親に抱かれて」と題したメッセージです。


「大悲の親とはいったい誰のことかと思いますね。そのお方はね、阿弥陀如来様のことです。

 お母さんは幼い頃より死に対しての不安がありました。

 お母さんのお母さんが『心配はいらないよ。お寺にお参りして聞かせて頂ければ、きっと解決できるよ』と教えてくれたの。だからお母さんは必死でお寺参りをしたわ。

 でもね、聞けば聞くほど分からなくなり、お母さんも長い間、ありがたいとか守られているとか思ったこともないし、いつも不安はつきまとっていました。でもね、ある時お寺にお参りしてお話を聞いている時、ふと胸が熱くなるほどありがたいな一と思ったことがあったの。

 そして、とめどもなく涙があふれて、ありがたいもったいない、大悲の親に抱かれていたのだなと思うことができたのです。

 お母さんの心の師は親鸞聖人です。親鸞様のみ教えがご縁で真実の親様に遇うことができました。

 ありがたいことです。

 こうして病気になっても少しも寂しくありません。仏様と二人連れと思えば生も死もなくなります。

 苦しい時も痛い時もいつでも一緒の阿弥陀様。

 お母さんの目は凡夫の目だから仏様を見ることはとうていできませんけど、仏様はいつも離れず守って下さっているのです。

 それはお母さんだけでなく夏美や洋生はもちろんのことです。だから夏美も洋生もどうか手を合わせる子になって下さい。

 そしてあなたたちが精一杯生きてこの世が終わったら母の待つお浄土(阿弥陀様の国)に生まれてきて下さいね。死ぬのではなく生まれて行く世界があるのです。愛する人と会える世界があるのです。それが分かると安心してこの世を生きていけるでしょう。

 夏美、洋生どうか安心してこの世を渡って下さい。母はいつでもあなたたち二人の心の中に生き続けています。さみしい時、悲しい時は南無阿弥陀仏ととなえて下さい。お母さんはいつでも守ってあげます」


 これが我が子に送る母の最後の言葉です。

 母親をもっとも必要とするその時期に、我が子を残して先立たねばならない無念さはいかばかりかと、彼女の心中は察するに余りあるものがありますが、この文面を通して二人の子供が強く明るく生き抜いてくれることを願う彼女のいのちの叫びが私たちの心に深く深く響いてきます。

 そして、この著書の最後に彼女の主人中島春好さんは次のような文章で結んでいます。


「私は妻が病気になるまで信仰というものにまったく無関心でした。むしろ昨今の新興宗教にはあきれるばかりで、人の悲しみ苦しみにつけこみ、あたかもご利益があるかの如く金品を強要しているのには耐えがたき思いをしておりました。

 しかしながら、妻は信仰することにおいてこの病気を治してほしいとか家内安全を願うとか、まして物欲を見たそうなどとはまったく考えていなかったようです。

 妻は親鸞様が大好きで、いつも親愛様のことを口にしておりました。

 妻にとっての信仰とは救われることであり、支えであり、目覚めであり、今日も一日生かされたことへの感謝であったに違いありません。

 そのことが辛い治療に耐え、病と闘いながらも、人生を恨むことなく、後悔せず、ましてや不幸を他人のせいにすることなく最後まで明るく、笑顔で生涯を全うすることができたのだと思います。

 今では妻がいのちに代えて教えてくれたことに対して感謝と喜びが生まれ、どうしようもない私を導くために、この世に生まれてきてくれた菩薩ではなかったかと思うに至りました。我が妻みどりさん、私はあなたの死を決して無駄にはいたしません。本当にありがとうございました」


 彼女の40年という生涯はたしかに短いものであったかもしれません。しかし深く生きるということにおいて彼女の人生は、まぎれもなく「勝過の人生jであったと思います。

 親鸞聖人の「本願力に会いぬれば空しく過ぐる人ぞなき…」というお言葉を、身をもって私たちに示して下さいました。まさに、お念仏のみ教えに支えられ、導かれ、生かされた40年でした。

 彼女が語った「『私が私に生まれてよかった』といえる人生を歩んで下さい」というメッセージは、私たちに「いのち」への深い目覚めを促しています。

 限りあるいのちを生き、生かされたいのちを生きている私たちであります。「いのち」への深い目覚めが生まれる時、初めて私たちは「勝過の人生」を歩んでいくことができるのだと思います。
 彼女のこのメッセージは、まことにもって冥すべきであります。

 彼女のこの崇高な生きざまを通して、私はいかに真実のみ教えに出会うことがこの人生を歩む上で大事なことであるかということを、あらためて教えられました。


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