今月の法話




「あたり前を喜ぶ」
悪性腫瘍のため右足を切断し、32歳の若さで亡くなられた医師、井村和清さんの「あたりまえ」という詩をご紹介します。

あたりまえ
こんなすばらしいことを、みんなはなぜよろこばないのでしょう
あたりまえであることを
お父さんがいる
お母さんがいる
手が二本あって、足が二本ある
行きたいところへ自分で歩いてゆける
手をのばせばなんでもとれる
音がきこえて声がでる
こんなしあわせはあるでしょうか
しかし、だれもそれをよろこばない
あたりまえだ、と笑ってすます
食事がたべられる
夜になるとちゃんと眠れ、 そして又朝が来る
空気をむねいっぱいにすえる
笑える、泣ける、叫ぶこともできる
走りまわれる
みんなあたりまえのこと
こんなすばらしいことを、みんなは決してよろこばない
そのありがたさを知っているのは それを失くした人たちだけ
なぜでしょう
あたりまえ

以上のような詩であります。

確かに私たちは、目が見えることや手足が動くことを、特に「ありがたいナー」と思ったことはありません。当たり前のことだと思っています。

なぜ喜ばないのか、なぜ当たり前にしているのかと言いますと、それらはすべて私たちが生きるに先立って備わっているからだと思います。

例えてみれば、物の豊かな時代に生まれた子供が、物のありがたみがわからないのと同じことだと思います。生まれた時にはすでに物が溢れていますから、物があることは当たり前だと思うようなものです。

ところが、この詩にあるように私たちが当たり前だと思っているものは、まことにかけがえにないものばかりです。

それは、どれ一つ取り上げても人間が作り出すということは出来ません。すべて頂き物です。しかも、その一つ一つには、私のいのちを生かす「ハタラキ」というものが備わっているのです。

例えば、「息をする」ということを考えてみましょう。

私たちは生まれてこの方ずっと息をしています。もちろん、そんなことは当たり前のことだと思っています。

ところが、息をするという行為は、実は自分の意志でしているのではありません。

もし自分の意志で息をしているのであれば、おちおち眠ることもできないと思います。

私たちが夜も安心してぐっすり眠れるのは、自分の意志で息をしているのではなく、息をさせる「ハタラキ」というものが備わっているからです。もちろん、この息をする「ハタラキ」は人間が作ったのではありません。

また、息をするには空気がなければできませんが、その空気もまた人間が作ったものではありません。

元京都大学の総長で脳生理学の世界的権威でもあられた平沢興先生は「私は朝、目が覚めるということが不思議でならない」と、いつも仰っていたそうです。「一体どこからどんなハタラキがやって来て、私の目を覚ますのか。私はこの方面の研究を四十数年間やってきたが、私を含め世界中の科学者でこのことを完全に説明できるものはおりません」と仰っています。

このように息をすることも、朝日が覚めることも、当たり前のことだと思っていますが、そこには科学では解明できない不思議なハタラキがあるのです。

そのハタラキは、人間を越えたハタラキです。

またそのハタラキはあらゆるいのちを生かし育むハタラキを持っています。
このハタラキこそ仏と呼ばれるものなのです。

曹洞宗を開かれた道元禅師は用艮横鼻直」ということを仰っています。

「眼横鼻直」とは眼は横に、鼻は縦についているということですが、その当たり前の事実の中にわがいのちを生かし続ける仏というものを見いだされたのだと思います。

それは目や鼻のことだけではなく、空気があり水があり太陽があり大地がある。その当たり前に思っているあらゆるものの中にわがいのちを生かし続ける大いなるハタラキ、すなわち仏を見いだされたのだと思います。

そのことを、道元禅師は「尽十方界真実人体」とも仰っています。

この宇宙全部が自分の体であると仰っているのです。

それは、この宇宙に存在するもののどれ一つ欠けても私の命は成り立たないということであります。

このように私たちは人間を越えたあらゆるものの恵みを頂いて生きているのです。ところが、私たちはそれを当たり前のように思っています。

それが私たち人間の思い上がりであり、愚かさであると思うのです。

そんな愚かな私たちに向かって「あなたのいのちは生かされて生きているいのちなのですよ。とてつもない大きな恵みを頂いているいのちなのですよ。そのことに目覚めて下さいね」と呼び続けている声が南無阿弥陀仏なのです。

当たり前が当たり前でいてくれることを心の底から喜んでいくことができた時、私たちは、間違いなくみ仏の大悲の中に包まれてあることを確信することができると思います。

当たり前の中にこそみ仏の大悲が働いているのです。


井村和清 1947年富山県生まれ。
     岸和田徳洲会病院の内科医として勤務。
     1977年、右膝の悪性腫瘍の転移を防ぐため、右足を切断。
     しかし、腫瘍は両肺に転移。
     1979年1月、32歳の若さで亡くなる。
     死の直前まで綴った手記が、本人の死後「飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ」というタイトルとなって出版され、ベストセラーとなる。
上掲の詩「あたりまえ」は亡くなる直前に作られたものである。
     


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