「阿弥陀さまのマニフェスト」

 昨年の流行語大賞に「マニフェスト」という言葉が選ばれました。
 耳慣れない言葉に私は、当初フェミニストと勘違いしていましたが、11月の衆議院選挙で、やっとその意味が分かりました。

 「マニフェスト」とは政権公約という意味で、これまでのあいまいな選挙公約と違って、各政党が具体的な数字を挙げ「もし、自分の党が政権をとれば、カクカクシカジカのことを実行します」という大変責任のある約束事のことです。

 ところで、阿弥陀さまにも「マニフェスト」があるのをご存知でしょうか。

 もっとも、阿弥陀さまの場合は「マニフェスト」とは言わず、「本願」と申しますが、この本願の一つ一つに、「もし私が仏になってもカクカクシカジカのことが実現できなければ私は仏にはなりません」という約束事が示されています。

 これは言ってみれば、「阿弥陀さまのマニフェスト」ということになります。
 この本願は、その数が48あることから「弥陀の四十八願」と言われています。

 ここで、阿弥陀さまのマニフェストと政権公約のマニフェストを比べて見て下さい。大変大きな違いがあります。

 阿弥陀さまの場合は、「約束が果たせなかったら私は仏にならない」とその責任を明確に示されていますが、政権公約ではその責任が明確ではありません。

 「マニフェスト」は責任のある約束事ですから、その約束を果たすことが出来なければ、責任を負うのは当然のことですが、現実の政治では公約が実行できなかったといって、政権の座から降りたという話は聞いたことがありません。

 こういうところに政治のいい加減さがあります。

 政権公約も阿弥陀さまの本願のように、「もし自分の党が政権をとっても、カクカクシカジカのことが実行できなかったら政権の座から降ります」と、責任を明確にしたものにすべきだと思います。

 そこで、阿弥陀さまのマニフェストの中身ですが、どのような約束事が示されているのかと言いますと、一言で言えば「あらゆる人々を一人漏らさず救いとる」というものです。

 この「一人漏らさず」というところに阿弥陀さまのマニフェストの素晴らしいところがあるのです。

 政権公約ではそうはいきません。いかに立派なマニフェストであっても、必ず漏れる人が出ます。

 例えば、ある地域に道路を作るという公約を掲げたとします。すると、その地域の人々は大いに喜びますが、そうでない地域の人々はその公約から漏れます。

 或いは高齢者の福祉を優先するような公約を掲げると、老人は恩恵を被りますが、若い人には不満が出ます。

 こうしてみると、阿弥陀さまの「一人漏らさず」というマニフェストが如何に優れたものであり、また完成されたものであるかよく分かります。

 それではなぜ、一人漏らさず救うことが出来るのでしょうか。

 それは阿弥陀さまが私たちを救うのに条件をつけないからです。

 もし、「こういう人間でないと救わない」と条件をつけると、必ず漏れる者が出てきます。
例えば、「他人のことを思いやる人間でないと救わない」という条件をつければ、自分のことしか考えない人はその救いから漏れることになります。
或いは悪口をいう人間は救わない」「嘘をつく人間は救わない」と、条件を付けていきますと、当然その救いから漏れる者が出ます。

 そこで、阿弥陀さまは一人漏らさず救うために、徹底的に私たちを観察されたのです。
 その結果、条件をつけたのでは救えないという結論に達したのです。
 ここから、阿弥陀さまはとてつもない長い時間をかけて、無条件で救う方法を編み出したのです。

 その方法とはどんなものかと言いますと、「必ず約束は守る」という阿弥陀さまのお心を信じるだけで良いというものです。

 そのお心を言葉にしたものが「南無阿弥陀仏」です。

 「南無阿弥陀仏」には必ず救うという阿弥陀さまのお心と私たちを救うための働き、これを本願力と言います、が備わっているのです。
ですから私たちは阿弥陀さまの約束を信じて、南無阿弥陀仏とお念仏を称えるだけでいいのです。

 これならば一人漏らさず誰でも実行できます。

 余りにも簡単なために「そんなことで大丈夫かな、間違いないのかな」と思われるかもしれませんが、「一人漏らさず救わなければ仏に成らない」と約束された阿弥陀さまはすでに仏さまに成っておられるのです。決してご心配は要りません。阿弥陀さまは必ずこの私を救ってくださいます。

 ここで大事なことは、阿弥陀さまが無条件で救うと言われたそのお目当ての人間は誰のことかといえば、他でもないこの私のことであったと気づくことです。

 そのことがはっきり分かれば、我が身の愚かさがいよいよ明らかにされます。そして、そんなお粗末な私のためのマニフェストであったのかと、阿弥陀さまの大悲心に無上の喜びを覚えるのです。

 お念仏のみ教えはこの私のためだったと受け取っていく。
 それがみ教えを聞くうえで最も大切なことだと思います。


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