「共命鳥(ぐみょうちょう)」 


 極楽浄土に共命鳥(ぐみょうちょう)という名前の烏がいます。

 どんな鳥かといえば、身体は一つで、頭が二つに分かれている烏で、まさに命を共有する鳥です。

 この鳥は、一説によりますと、極楽浄土に生まれる前、すなわち前世では大変、仲が悪かったと言われています。

 片方の烏が「右へ行きたい」と言えば、もう一方の烏は、「いや私は左へいきたい」と言い、片方の烏が「もっと遊びたい」と言えば、もう一方の鳥は「いや、もう遊ぶのは飽きた、休みたい」というように、事あるごとに意見が衝突していました。

 身体が別々であれば、さして問題にならないのですが、身体が一つですから、当然そこで大喧嘩が起こります。

 こうして毎日毎日、言い争いをしていたのですが、ある日、とうとうその喧嘩が昂じて、片方の鳥が相手の鳥の喉首を噛み切ってしまったのです。

 噛まれた方はそれが致命傷になり命を落としてしまいました。

 ところが身体が一つですから、噛んだ方もしばらくして、命を落としてしまう羽目になったのです。

 その命を落とす寸前に、その鳥が仏教で言う悟りを開いたのです。

「これまで私はわがままを言いながらも、何とか元気でこられたのは、あなたがいてくれたればこそだったんだなー」

ということに気付いたのです。

「この私の命はあなたの命の上に出来上がっていたんだな−」ということに目覚めたのです。

 これを、「自他一如の縁起の道理」と言います。

 この道理は仏教の教えの中核をなすもので、「あらゆるものは相依り相関わっており、私の命は多くのご縁をいただいて、生かされている命である。だから自分と他人は切っても切り離せない一つ如しなのだ」というものです。

 こうして、この世の真理を悟った鳥は、めでたく極楽浄土に生まれ出でることが出来たと言うのです。

 以上のようなお話ですが、この物語は、決してお伽話の世界のことではありません。
 もうお気付きでしょうが、この共命鳥こそ、まさしく私たち人間の姿を象徴的に表しているのです。

 私たち人間は誰一人例外なく共命鳥の姿をしています。

 家庭内では、親と子、夫と妻、学校では先生と生徒、会社では上司と部下、商売をしている者であれば、売り手と買い手、更にもっと広く言えば、男と女、日本人と外国人、というように、この世の中のものは、すべて二つで一つになっているのです。まさに共命烏の姿をしているのです。

 そうして大事なことは、私たちは必ずどちらかの立場に立ちますが、自分の立っているもう一方の立場のものによって生かされ育てられているということです。

 親子の場合で言えば、子供は親に生かされ育てられますが、それと同時に、親もまた我が子に生かされ育てられているのです。他の関係の場合もまたしかりです。

 ところで、日本の版画家の第一人者で、今年8月、94歳で亡くなられた方に長谷川富三郎という方がおられます。

 画伯は鳥取県内の小学校の教員として、長年、版画教育に携わってきましたが、退職後、第1回日本海文化賞を受賞され、それを記念に一冊の本を出されました。

 本のタイトルは「教えられ、育てられ」というものです。

 画伯は、その本の中で、

「私にとって教育とは、実に、教えること育てることではなくて、教えられ育てられることであったとしみじみ思います。

 教えていると思って一心にやっていたことを、今考えて見ますと、教えられていたんだなと思います。

 それは教育の場だけでなく、郷土の大地で、宗教の聖地で、或いは家庭で、或いは旅で、どこでもいつでも、教えられ、育てられてここまできたのです。」

と書いておられます。

 画伯はこうしてご自身の人生を振り返られる時、教職者として、版画家として、夫として、父親としてというように、さまざまな立場に立った自分を振り返られています。

 そうして、いかなる立場に立とうとも、自分の立っているもう一方の立場のものに生かされ育てられてきたことを喜んでおられます。

 これは画伯に限らず、私たちも同じように色んな立場に立ちますが、その自分の立つ立場を、画伯のようにどんどん広げていくのです。

 そうしますと、もう一方の立場に立つものというのは、実は「自分以外のすべてのもの」だったということに気付かされます。

 これは、換言すれば、「この私は自分以外のすべてのものによって生かされ育てられている」ということになるのです。

 自分以外のすべてのもの、ということになりますと、敵も見方も、都合のいい人も悪い人も、この私を生かし育ててくださる方だといただくことが出来ます。

 それは人間関係だけではなく、私に起こるさまざまな出来事についても、同じことが言えると思います。

 すなわち、順境も逆境も、思い通りになることも、ならないことも、この私を生かし育ててくださるものなんだと受け止めていくことが出来ると思います。

 まさに「我以外皆我諸仏」だったのです。

 共命烏の物語はこのことを私たちに教えて下さっているのです。


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