「ものさし」のいらない世界  H18.6放送

 ここに『子どもたちよありがとう』と題した一冊の本があります。
 著者の平野恵子さんは、高山市にある浄土真宗のお寺の坊守さん(住職の妻)でしたが、平成元年、腎臓ガンのため41歳で亡くなられました。
 本書は、病床の中から我が子に、仏さまの教えに出遭えたことの喜びを書き綴った手記です。

 平野さんは3人のお子さんに恵まれましたが、長男(素行ちゃん)は、親の手に負えないほどの腕白な子で、2人目の子(由紀乃ちゃん)は脳性小児麻痺による重度の障害を持った子供さんでした。

 若い頃、平野さんはそんな子供を持ったことに深い絶望感を抱き、いっそのこと子供を殺し、自分も死のうとまで思いつめていたそうです。

 ところが、ある日のこと、いつものように元気に遊んで帰ってきた長男が、身動き一つ出来ない妹を抱きしめて、「お母さん、由紀乃ちゃんはきれいだね。顔も、手も、足も、お腹だって全部きれいだよ。由紀乃ちゃんはお家のみんなの宝物だもんね」とこう言ったのです。

 その一言が、平野さんの心の目を聞かせたのです。

「気づいてみれば、由紀乃ちゃんの人生は、何と満ち足りた安らぎに溢れていることでしょう。食べることも、歩くことも、何一つ出来ない身体そのままに、絶対他力の掌中に抱き込まれ、一点の疑いなくまかせきっている姿は、美しくまぶしいばかりでした。
 抱き上げればニッコリと笑うあなたは、自分をこのような身体に生み落とした母親に対する恨みもせず、高熱と発作を繰り返す日々の中で、ただ一身に病気を背負い、今をけなげに生き続けているのでした。
 由紀乃ちゃん、お母さんがあなたに対して残せる、たった一つの言葉があるとすれば、それは『ありがとう』の一言でしかありません。なぜなら、お母さんの40年の人生が真に豊で幸福な人生だったと言いきれるのは、まったく由紀乃ちゃんのおかげだったからです」

 本書で、平野さんは人間の持っている価値観を「ものさし」と仰っていますが、この出来事を通して、彼女はその価値観が転換されていくことがいかに大事なことであるか、子供たちにこう語るのです。

「人間の持っている価値観は、時にはどんな恐ろしいこともします。若い頃のお母さんは、自分がそんな危ないものさしを持っているなんて気づきもしませんでした。

 だから、自分勝手な偏見と色眼鏡で曇ったお母さんの価値観(ものさし)では、どんなにがんばって測ろうと努力しても、素行ちゃんは決して良い子の規格には入らなかったし、由紀乃ちゃんに至っては、人間として価値など、一つも認められない存在でしかなかったのです。でも二人は間違いなくお母さんの生んだ子供達、この世で最も愛しく大切な子供達だったのです。お母さんのものさしは根底から崩れ去りました。それは同時に、それまでのお母さんの人生そのものが、すべて否定されたということです」

 その時、絶望に打ちひしがれ、この子らを殺して自分も死ぬ以外に道はないとまで思いつめていたお母さんに『そのまんまが、尊いんだよ』と教えてくださった方があります。
『お母さん、由紀乃ちゃんはきれいだね、お家の宝物だものね』
素行ちゃんのこの一言でした。

 幼い生命が二つ、お互いをお互いに宝物と拝みあっている尊い姿なのでした。

 その時の素行ちゃんと由紀乃ちゃんこそ、真実を伝えるために、無量寿の彼方よりお母さんの子供として生まれて下さった仏さまだったのです。

 素行ちゃん、素浄ちゃん(三番目の子供)、どうか忘れないで下さい。自分も、このものさしを持った人間であるということを。

 いつでも、どんな時でも、自分は、ものさしを使ってものを考え、他を判断し、行動しているのです。どうあがいても、このものさしから一歩も出ることの出来ない私たちなのです。

 ただ、ありがたいことに、ものさしを持つ自分の姿を確かに知ることが出来た時、人は同時に、ものさしのない世界を知り、その世界に触れることが出来るのです。

 浄土真宗では、このものさしのいらない世界を、阿弥陀の世界、浄土と申しております。

 人は自分のものさし(価値観)を決して捨てることは出来ないけれども、浄土に触れることにおいて、ものさしを武器として、他を傷つけずにはおれない自分の存在を悲しみ、その愚かさに気づかされることにより、まわりに対して『ごめんなさい』『ありがとう』と言わずにはおれない人の心を取り戻すことが出来るのです」

 平野さんのこの言葉にはただただ領かされるばかりです。
 思えば、私たち人間は、さまざまな経験や知識を通して生きる知恵というものを身につけてきました。そうして、その知恵が備わることによって、良いとか悪いとか、損だ得だという、自分なりの「ものさし(価値観)」を確立してきたのです。

 その「ものさし」は社会生活を営むためになくてはならないものです。ですから、私たち人間は、それを捨てることは出来ません。

 ただ、ここで大事なことは、そういうものさしを持たずにはおれない、そうして持つことによって人を傷つけずにはおれない、そうした人間の愚かさに気づいていくということです。

 それに気づかせてくれるものこそ、「ものさしのいらない世界、阿弥陀の世界・浄土」なのです。

 その世界を知る時、私たちは、平野さんが仰るように、心の目が開かれ、人の心を取り戻すことが出来るのです。


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