「絶対的人生」

 私たち人間は、誰しも幸せな人生を送りたいと願っています。
 ところが、その事せを他人と比べることによって感じようとしていないでしょうか。
 例えば、「あの家に比べたら、我が家は幸せだ」と思ったり、逆に「あの家は幸せだなあ。羨ましいなあ」と感じたことはないでしょうか。
 古い諺に、「隣で倉が建てば、此方で腹が立つ」というのがありますが、隣の家が羽振りの良い暮らしを始めると、途端に我が家は不幸に陥るというのです。

 私たちは、こうして知らず知らずのうちに、他人と比べて幸、不幸を感じているのです。

 他人と比べようとすれば、当然そこに競争が生まれます。
 しかも厄介なことに、私たちの欲望には際限がありません。
 これで満足ということがないのです。
 そのため、この競争は果てしなく続いていきます。

 その結果、私たちはどこまでいっても、不平、不満、不足を抱えた日暮らしを送ることになるのです。

 このように、他と競争していく人生を「相対的人生」と言います。

「なんでこんな主人と一緒になったんだろう」
「うちの子供は、どうしてこうも出来が悪いんだろう」
「どうして私一人が苦労しなけりやいけないんだ」
と、よく愚痴をこぼしますが、それらはすべて、他と比較する「相対的人生」に原因があるのです。

 仏さまは、そんな私たちに「絶対的人生」のあることをお示しくださっています。

 絶対的人生とは、他人と比較するのではなく、「自分が自分であってよかった」ということに目覚めた生き方のことを言います。

 そこでは他人の生活を羨ましがったり、妬んだり、或いは自惚れたり、優越感を持ったり、といったことが当然薄らいできます。

 この「絶対的人生」こそ、私たちに真の安らぎと幸せをもたらしてくれるのです。
 そこで、このような絶対的人生を歩むにはどうすればいいのでしょうか。

 それは「私の人生はすべて、いただきもの」ということに目覚めることです。

 ここに、「ねえお父さん」と題した詩があります。
 詩の作者は、重度の障害児を抱えたお母さんですが、この詩を通して、絶対的人生に生きていこうとする方の、日暮らしというものを味わってください。


 −ねえお父さん−

 ねえお父さん 生きていきましょうよ
 こんな子授かったおかげで
 誰も歩むことの出来ない人生を知りました
 誰もが味わうことの出来ない思いも味わいました
 ねえお父さん それでよいではないですか
 ねえお父さん 前を向きましょうよ
 この子が私たちの前に現われてから
 壁のカレンダーも十数枚掛けかえました
 でもこの子はいつまでも三歳です
 かわいいではないですか
 ねえお父さん それでよいことにしましょうよ
 ねえお父さん 笑って生きましょうよ
 きょうも食事の時レモンを口に入れて
 すっぱいといった顔のおかしさに大笑いしましたね
 まだいいや すっぱいのが分かるから といったのは誰
 この歳になって こんなことで喜ぶ親なんて
 この世の中にそうざらにはいませんよ
 ねえお父さん やっぱり幸せだと思いましょうよ

 以上のような詩です。

 このご両親は我が子の病気を治すために、ありとあらゆる手を尽くされたそうです。
 時には、障害者ゆえに、周りから白い目で見られたり、心ない陰口を言われたこともありました。
 その度に、「なんで私たちだけが、こんな苦しみを味合わねばならないのか。器量が悪くても良い、頭が悪くても良い。
せめて、せめて健康な身体であったらなあ・・」と、いつも涙ながらに愚痴がこぼれていたそうです。
 それはまさに「相対的人生」です。
 他人と比べ、幸、不幸を感じていく人生です。
 そんなギリギリのどうにもならないところに立たされた時、お念仏のみ教えに出遭ったのです。
 「我が人生はいただきもの。いただきものである以上、それを引き受けて生きていく以外、自分の人生はありえない」ということを教えられるのです。

 まさに、我が子はいただきものなのです。
 授かりものなのです。
 授かりものである以上、どんな子供が授かろうとも、それが私の子供でしたと、その子供を背負っていくより他に、親としての私の生きる道はないことを、このお母さんは知ったのです。

 この詩で繰り返し繰り返し「ねえお父さん」と呼びかけていますが、これは「人間の幸せは、決して他人と比較するものじやないですよね」と、作者自らに言い聞かせている言葉でもあると思います。
 そうして、詩の最後に「やっぱり幸せだと思いましょうよ」と語っていますが、そこに絶対的人生を歩んでいこうとするお母さんの強い決意が感じられます。
 おそらく、これまでにない穏やかな、ゆったりとした空気がこの家族を包んでいることだと思います。

 その時、このお母さんは「私が私であってよかった」と心の底からうなづくことが出来たと思います。

 それはまさに「相対的人生」から「絶対的人生」への転換です。
 思えば、私たちも、さまざまな荷物を背負って人生を歩んでいます。
 時にはその荷物が重いなあと感じることもあります。
 しかし、それを引き受けて生きる他に、私の人生はないのです。

 そうであるならば、他人と比べ一喜一一→憂するのではなく、「この荷物あればこそ……」と、しっかりとその荷を背負って歩んでいきたいものだと思います。
 そうすれば、真の安らぎと幸せにあふれた人生がきっと実現すると思います。

 「相対的人生から絶対的人生へ」・・・お念仏の教えは、そんな人生を歩むことを私たちに教えているのです。


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