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「転んだ時が起きる時」 H22.5
あるご門徒の奥さんが、ご主人の1周忌の法事のことでお寺に来られました。

「早くにご相談しなければと、気になりながら、実は少し前、玄関先で転んで腕を骨折してしまい、車の運転も出来ず、ついつい延び延びになってしまいました」と仰るのです。
ご主人の死から1年も経たないうちに見舞われた不慮の事故です。
「よりによって、こんな時になんでケガなんか……」
と、思いがけない災難に、何とも言えないやりきれなさを感じていたことだと思います。
まことに心中を察するに余りあるものがあります。
そんな彼女がしみじみと、「お寺の掲示板に書かれている通りですね」と言われるのです。

その時張り出していた掲示板の言葉は、
「転んだ時が起きる時」
というものでした。

文字通り心も身体も転んでしまった彼女にとって、この言葉は大きな励みになったようです。
おそらく、ケガの順調な回復につれ、「いつまでもクヨクヨしていてはダメだ。何とか立ち直らなければ」という思いが彼女にあったのでしょう。
そんな思いに、この言葉が重なり、「転んだ時が起きる時、本当にそうですね」とうなづかれたのだと思います。

ともすれば転んだことが愚痴や泣きごとのタネになり、中々起き上がれないことが多い中、こうして懸命に起き上がろうとする彼女の前向きな姿勢に頭の下がる思いがしました。

思えば、私どもの人生は、お釈迦様のお示しの通り、苦悩の絶えた事がありません。
一つ問題が解決したかと思えば、また新たな苦悩が生まれてくる。
まさに「転んでは起き、起きては転ぶ」人生です。

転びたくて転ぶ人などいませんが、どうしても転んでしまう人生であるならば、その転んだことをどのように受け止めていくか、そこが大事なのです。

もし、転んだことを「災難だった」としか受け止めることが出来なければ、まずその人の人生から不平不満は止むことはないでしょう。

それは自らが傷つくだけでなく、周りの人も傷ついていく「自損損他」の人生です。
これでは「転んだ時が傷つく時」になってしまいます。

しかし、転んだことを、「自分が成長するための大事な試練なんだ」と受け止めることが出来るならば、転んだことが生きてきます。
それは自らを生かすだけでなく、周りの人も生かす「自利利他」の人生につながります。
掲示板の言葉「転んだ時が起きる時」はこのことを示すものです。

お経には「身自当之、無有代者(身、自ら之に当たる、代わる者有ることなし)」と説かれていますが、私の人生に代理人はいないのです。

辛くても苦しくても、転んだことを自分で背負う以外、誰も代わってくれません。

厳しいようですが、我が身に起きる一切の出来事は、自らまいたタネが芽生えてきたと受け止めていく、それが「業報の世界」と呼ばれる私たちの人生なのです。

だからこそ、転んだことを自らの責任において果たしていかなければならないのです。
そのことをしっかり腹に据えて、起き上がるのです。
そうすると思いもよらなかった素晴らしい世界が開けてきます。

それは、こうして愚痴をこぼさず文句を言わず、懸命に起き上がろうとする者を見て、
「辛いだろうね、苦しいだろうね。だからこそあなたを捨ててはおけないのですよ」と、呼んでくださるお方がいらっしゃるのです。
転んだ痛さを、「分るよ、分るよ、忘れられんね」と、共に泣いてくださるお方がいらっしゃるのです。
そのお方が、阿弥陀如来と申す仏さまなのです。

如来の作願をたずぬれば 苦悩の有情を捨てずして
回向を首としたまいて 大悲心を成就せり

と親鸞聖人は詠っておられます。
そうだったのです。
阿弥陀さまの大悲心と呼ばれるお心は、「転んでは起き、起きては転ぶ」苦悩の人生を歩む私のために起こされていたのです。

苦悩の中から立ち上がろうとする者にとって、このお心(大悲心)ほど生きる勇気と安らぎを与えてくださるものはありません。
転んだことをご縁として、阿弥陀さまの大悲心に出遭う時、「転んだことが無駄ではなかったなあ」と心の底から思えるようになるのです。

否、「転んだからこそ、大悲心に出遭えたのだ」と、転んだことを「恵み」とすら受け取ることが出来るのです。

そこに初めて、どんな災難でも乗り越えていくたくましい人生が開かれるのです。

それを親鸞聖人は、「念仏者は無碍の一道なり」とおっしゃっています。
すなわち、念仏者はいかなる障害をも障り(さわり)にならない人生を歩むこと出来るというのです。

「転んでは起き、起きては転ぶ」障害ばかりの人生ですが、こうしてお念仏のみ教えに出遭うことによって「我が人生に障りなし」と、言い切れる世界が必ず開かれてきます。

まさに、お念仏の教えは、この人生を正しく見る「智慧の目」と、いかなる苦難をも乗り越えていく「たくましい足」を与えてくださるのです。

「転んだ時が起きる時」・・・このことを今一度深く噛み締めたいものです。


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